新潟の老舗アイスメーカー セイヒョー 【2872・スタンダード市場】

“経営方針なき100年企業”を10代目社長が変革
OEM依存脱却し自社ブランド強化で企業価値向上

大正時代創業の100年企業で、新潟証券取引所上場県内第1号企業。そして〝新潟のソウルフード〟と評価される氷菓子「もも太郎」で知られる。これらの肩書きを持つのが、セイヒョーだ。地元で圧倒的な知名度を誇るアイスメーカーだが、2011年以降に二度、上場廃止危機に直面。その渦中にいた現任(10代目)の飯塚周一社長は、経営方針を掲げるに至らない100年の企業体質に”過ち”があったと顧みた。そこから自問自答を続け、OEM依存脱却と自社ブランド強化を掲げた。現在も企業価値を上げるべく変革の道を歩んでいる。
セイヒョー-飯塚 周一

飯塚 周一(いいづか・しゅういち)

社長

大正時代創業の100年企業で、新潟証券取引所上場県内第1号企業。そして〝新潟のソウルフード〟と評価される氷菓子「もも太郎」で知られる。これらの肩書きを持つのが、セイヒョーだ。地元で圧倒的な知名度を誇るアイスメーカーだが、2011年以降に二度、上場廃止危機に直面。その渦中にいた現任(10代目)の飯塚周一社長は、経営方針を掲げるに至らない100年の企業体質に〝過ち〟があったと顧みた。そこから自問自答を続け、OEM依存脱却と自社ブランド強化を掲げた。現在も企業価値を上げるべく変革の道を歩んでいる。

“100年の過ち”が招いたリストラのツケ
「ウチの会社って何」「徹底してアイス作ろう」

1916年創業のセイヒョーは元々、「製氷」業者として産声を上げた。地元漁業のために財閥が設立した会社だったが、同社の氷が一般にも普及するやいなや、食品の冷却用や発熱時の解熱用にと重宝。暮らしを支えるインフラ的存在となり、同社の果たす役割は大きくなっていった。戦後にアイス作りにも乗り出すと、夏の暑さをしのぐためにとアイスの需要は拡大。看板商品の「もも太郎」はソウルフードとなるほど、ブランド力をつけた。

もも太郎、戦後に商品化

セイヒョーの「もも太郎」はイチゴ味がベースで、リンゴのフレーバーがアクセントとなっている棒アイスだ。価格は1本60~70円程度。商品化したのは戦後間もない1946年だが、その遥か前から新潟の祭りの縁日で桃型の氷菓子がよく売られていたものが、もも太郎の源流とされる。それを企業として商品化したのがセイヒョー含め数社存在したという。

一見、順風満帆な道のりを歩んできたかに見える同社だが、飯塚社長はこれまでの100年を“過ち”と捉え変革に挑んだ。何があったのか。
実は飯塚社長は2011年にトップを任されて以降、二度の上場廃止危機を経験。その危機を“企業価値向上”によって切り抜けたのだが、その過程は経営者として自問自答の繰り返しだったという。

「発展のないマイナスな喧嘩」

飯塚社長が11年5月に社長就任して間もない12~13年のこと。一度目の上場廃止危機が訪れた。

当時はまだリーマン・ショックの影響が尾を引いていた。さらに、同社では10年に明治乳業とのOEM契約が終了となったことで、業績は悪化の一途をたどっていた。最盛期に近い09年2月期の売上高は52億3600万円だったが、10年2月期に42億2100万円、11年2月期に34億9600万円と低迷。12年2月期には37億2100万円と前期比で増収となったが、最盛期と比べれば売上高は3割も落ち込んでいた。

当時の時価総額は6億~8億円程度と小さく、上場廃止基準に該当し続け、株価が上がらなければいよいよ整理銘柄に指定されてしまう状況だった。
資本政策として自社株買いなど打てる手は打つも、4期連続で営業赤字を計上するなど業績は上向かなかった。断腸の思いでリストラも実施した。当時100人程度いた従業員の30%を目標に希望退職者を募ったのだ。

「社内からは『お前が社長になって、やることはこれか』と恨み言も言われました。社長って社員を守るのが仕事ですから、その真逆をやるなんて痛みでした」(飯塚周一社長)

その結果、13年2月期には久しぶりの営業黒字となり、上場廃止は免れた。これに安堵も束の間、飯塚社長には素朴ながらこんな疑問が湧いてきたという。

「ウチの会社って、何なんだ?」。

そもそもリストラするほどの状況に陥るまで、会社として対策を講じてこなかったのはなぜか。飯塚社長は、自身も含めた歴代社長による100年の歴史が招いたものだと顧みる。

「当社は古くから記録に残すという社風ではなかったようで、あくまで伝聞にはなりますが、セイヒョーというのはずっと協同組合みたいなもので、社長がいてもリーダーシップや権限をもっているわけではありませんでした。独立採算制だったため、各工場では自分たちの数字だけを大事とする。ある工場でお客さんとの取引関係が既に成り立っているのに、よその工場がそれよりも安く売ろうとすることもあった。発展など全くないマイナスの喧嘩です」(同氏)

「ОEМだけやればいい」

今でこそ同社の主力商品の1つとなった「笹だんご」は、独立採算制が生んだヒット作である。

笹だんごを製造している三条工場では元々アイスを作っていたが、アイスの事業を本社(新潟工場)に移行せねばならず、三条工場は独自事業を模索することに。笹だんごも新潟のソウルフードであり、同社としてはアイスメーカーらしく冷凍技術を活かした笹だんごを開発し、同業他社との差別化を図ろうとした。結果的に、自然解凍するだけで作りたてのようなモチモチ食感を楽しめる笹だんごを独自製法により生み出すことができた。同社の笹だんごは今や、東京のアンテナショップや催事場での売れ筋商品だ。

他方で、独立採算制によって、かつて飯塚社長も自身の意見を蔑ろにされた経験をした。バリバリのアイス営業マンだった飯塚社長が2004年に本社転勤となる前、「もっと自社製品のアイスを作って売りましょう」と当時の社長に提案。が、返ってきた答えは「ОEМだけやっていればいい」だった。

独立採算制は8代目社長によって廃止されたが、経営方針を掲げるに至らない会社の歴史が100年近くも続いたこととなる。

「経営者として私が肝に銘じたことは、しっかりと働いてくれている仲間に向けて『方針を示す』ということでした」(同氏)

100年の過ちのツケが回ってきたのだと感じた飯塚社長は、そこから「ウチの会社ってそもそも何だ?」「徹底してアイスを売ろう」と自問自答。やがて、アイス営業マンを経験した飯塚社長らしい考えにたどりつく。それが、ОEМに依存せず自社ブランドを強化するという方針だ。

有料会員限定

続きを閲覧するには会員登録が必要です。
すでに会員の方は
ログインして閲覧してください。

ログイン SEARCH